京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

「京都新聞」2016年4月23日付22面記事を再掲

「ゑ函」の蓋と桐箱             

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 ゑ函

京都府立京都学・歴彩館で保管している「ゑ函」の桐箱。

 

  1. 写真をご覧ください。これは東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)の「ゑ函」の蓋です。百合文書の箱とその蓋については、全て京都府立総合資料館(京都市左京区、現・京都府立京都学歴彩館)に移管されたはずです。
    しかし、この蓋だけが東寺宝物館(南区)の所蔵として現在、同宝物館の春季特別公開(注・平成28年5月25日終了)で展示されています。どうもおかしいと思う方が多いと考え、この点について述べてみます。

  2.  

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中世の古文書の多くはくずし字で書かれていますが、注意深く見ると、比較的きちんと書かれているものやひどくくずされたものなど、ひとくちに「くずし字」といっても様々な書風・書体が見受けられます。
また、同一人物であっても、時と場合によって全く異なる書風・書体の筆跡を残している場合があります。

今回は、そうした書風・書体の問題について考えてみましょう。

 

サ函9号 権少僧都杲宝播磨国矢野庄例名重藤名学衆方所務職条々請文

サ函9号「権少僧都杲宝播磨国矢野荘例名重藤名学衆方所務職条々請文」貞和3(1347)年8月18日

 

ル函198号「杲宝書状」2月29日

 

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今回は、昨年夏に南カリフォルニア大学で開催された漢文ワークショップをご紹介します。

 

南カリフォルニア大学(University of Southern California, USC)で毎年夏に開催される漢文ワークショップは、日本の歴史・文学・仏教・美術を研究しているアメリカの大学院生が参加して、いわゆる変体漢文といわれる文体をもった史料の読解と英訳に集中的に取り組むプログラムです。

 

このプログラムでは年ごとに、ある時代や歴史的テーマに焦点をあてて史料を選んでいて、これまでに、「中右記」「小右記」「玉葉」などの記録類から「東大寺文書」「室町幕府法」まで、様々な素材と時代を扱ってきたそうです。

 

さて、2016年の漢文ワークショップでは、東寺百合文書がテキストとして取り上げられました!

中世荘園や東寺関係史料の研究を専門とされている高橋敏子先生(東京大学史料編纂所)が、USC歴史学部のJoan Piggott(ジョーン・ピジョー)先生とともに大学院生の指導にあたられました。

 

高橋先生からいただいた写真をご覧ください。

 

漢文ワークショップは、キャンパス内の東アジア図書館で開催されます。

東アジア図書館は、Doheny Library(ドヒニーライブラリー)という図書館の中にあり、担当の先生方の精力的な収集によって、日本・中国・朝鮮関係の図書が驚くほど充実しているそうです。

 

Doheny Library(ドヒニーライブラリー)

Doheny Library


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百合百話「57. 備中国新見荘から届いた百姓たちのメッセージ~百姓を苦しめる代官を追放する~」では、約40年間にわたって圧政を敷いた代官を追放し、領主である東寺の直接支配を実現させた新見荘の百姓たちのお話をご紹介しました。

今回は、新見荘を直接支配するために東寺から派遣された代官の祐清(ゆうせい)についてお話します。

 

JR新見駅前にある「祐清像」

JR新見駅前にある「祐清像」

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「京都新聞」2016年3月26日付28面記事を再掲

宝蔵と御影堂経蔵              

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

  1. 東寺の二つの顔は、「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」と「弘法さん」という二つの信仰形態、そして伽藍(がらん)と御影堂(みえどう)という堂舎のあり方の違いにとどまりません。寺宝の収蔵状況にもみられます。

     

  2. 中世以来、東寺の重要な宝庫は伽藍の一部となる「宝蔵」と、西院の「御影堂経蔵」の二つでした。そこに収納された重宝類も、宝蔵には平安時代以来の鎮護国家の修法に関する重宝類、御影堂経蔵には鎌倉時代以来の大師信仰に関する宝物類と、見事にこの二つの顔、二つの信仰形態に相通ずるものでした。 

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2017年3月1日から4月23日まで京都文化博物館において「ユネスコ「世界の記憶」東寺百合文書展―人・物・情報が行き交う中世―」を開催しています!

 

 

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後七日御修法とは、毎年正月8日から14日まで、宮中にある「真言院」で実施された仏事のことです。東寺にとって最も重要な国家行事のひとつで、東寺長者が中心となり、玉体安穏や五穀豊穣などを祈りました。現在は、東寺にある「灌頂院(かんじょういん)」で行われています。

 

承和2(835)年の創始以来、1,000年以上の歴史を持つ後七日御修法ですが、百合百話「61. 160年の沈黙… 後七日御修法(ごしちにちみしほ)」で紹介した通り、寛正2(1461)年から元和8(1622)年までの162年間は一度も開催されませんでした。実は、すでに南北朝時代(1336~1392年)の時点で、毎年予定通り実施することが難しくなっていたのです。

 

左:ろ函3号-40「真言院後七日御修法請僧交名」正平6(1351)年

右:ろ函3号-40「真言院後七日御修法請僧交名」正平6(1351)年(裏)

 

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今年も例年通り、東寺にある「灌頂院(かんじょういん)」で「後七日御修法」が行われました。

 

ふ函8号-12 真言院後七日御修法請僧交名

ふ函8号-12「真言院後七日御修法請僧交名」元和9(1623)年

 

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二条城の南側に、境内に大きな池のあるお寺があることをご存知でしょうか?
このお寺は「神泉苑」といい、御池通りは神泉苑の池の傍を通るため、この名前になったという説があります。
また、源義経の一代記である『義経記』では、源義経と静御前が出会った場所とされています。

 

神泉苑は、延暦13(794)年頃に平安京大内裏に接してに建てられた天皇の禁苑(天皇のための庭園)で、平安時代初期には、天皇の離宮や後院(天皇の隠居後の住まい)などに利用され、詩宴や観花などさまざまな宴が催されていました。

 

苑内には大きな池があり、池の北側には乾臨閣(けんりんかく)と呼ばれる建物が建っていました。池の真ん中には中島(池の中に造られる人工の島)があり、池の南側には南山とよばれる築山(庭園などに築かれる人工の山)がありました。
当時の神泉苑の規模(青枠)と現在の規模(オレンジ枠)と比べると広大な敷地であったことがわかります。

 

                                                             © OpenStreetMap contributors

 

左:平安時代の神泉苑図※1
右:神泉苑規模比較図

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「京都新聞」2016年2月27日付24面記事を再掲

「伽藍」と「御影堂」              

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

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  1. 前回は、東寺(教王護国寺、京都市南区)の「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」と「弘法さん」がテーマでしたが、引き続き東寺の「二つの顔」についてみておきましょう。
    それは「後七日御修法」と「弘法さん」という二つの信仰形態にとどまるものではありません。その信仰形態の違いは、東寺全体の堂舎のあり方にも反映されています。
  2.  
  3. 東寺の正門である南大門から入ると、金堂、講堂、食堂という堂々とした伽藍(がらん)が立ち並んでいます。また、南大門の右手には五重塔、左手には灌頂院(かんじょういん)が配置されています。これが、平安時代以来の鎮護国家の伽藍です。

     

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お問い合わせ先
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京都市左京区下鴨半木町1番地29

電話番号:075-723-4831

URL :
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