京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

「京都新聞」2016年6月25日付26面記事を転載

大般若経6合と文書箱94合            

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 

東寺百合文書は、1997年6月、国宝に指定されました。東寺宝物館では記念として、その秋に特別展「東寺文書十万通の珠宝―時空を超えて」を開くことになり、準備を始めた頃だったと思います。学芸員(現文化財保護課長)の新見康子氏と宝物館3階の収蔵庫に上がりました。いつも目にしているのですが、ちょうどよい機会で「何か面白いことがあるかもしれない」と、国の重要文化財に指定されている大般若経6合の箱の蓋を開けて底裏を眺めてみました。すると、何と銘があるではないですか。これにはしばし、絶句しました。

 

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天正19(1591)年閏正月から4月ごろにかけて、豊臣秀吉は京都の町を堀と土塁で取り囲む惣構えを築きました。北は鷹峯の南側、東は鴨川の西岸、西は西ノ京の付近、南は九条通までを取り囲む全長約22.5キロメートルの壮大なもので、一般に御土居の名称で呼ばれています。南側については、東寺付近のみ九条通まで張り出し、油小路通以東は京都駅付近を限りとしています。東寺の南側は九条通を残して御土居で囲まれ、九条通を西へ進んだところが鳥羽口(東寺口)として西国街道や鳥羽街道に通じる御土居の出入り口の一つになっていました。

 

© OpenStreetMap contributors

 

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終了しました。ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
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今回開催する「東寺百合文書データミーティング」は、東寺百合文書そのものや、書かれている内容についての講演とはちがって、東寺百合文書をコンピュータ上で扱うためのデータについて議論しようという集まりです。

 

東寺百合文書データミーティング
日時: 2017年10月26日(木)14:00~16:30
場所: 京都府立京都学・歴彩館 小ホール(大ホールから変更しました)
内容: 発表(20分×5名)、質疑・提案・トーク(40分)
発表者: (順不同)山田太造(東京大学史料編纂所)、後藤真(国立歴史民俗博物館)、永崎研宣(人文情報学研究所)、橋本雄太(国立歴史民俗博物館)、 岡本隆明(京都府立京都学・歴彩館職員)

 

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東寺百合文書WEBの目録データをまとめてダウンロードすることができます(→リンク)。

※ zipファイル内のテキストファイルはおよそ6MBから17MBのサイズです。ひらくときはご注意ください。

 

ご自分のコンピュータで検索にご利用になることはもちろん、データの加工や配布も可能です。また、ウェブサイトやサービスに組み入れて公開することも可能ですので、ぜひご利用ください。

 


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「京都新聞」2016年5月28日付24面記事を転載

文書は百箱だったのか            

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 ゑ函

京都府立京都学・歴彩館で保管している「イ函」の桐箱。

 

東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)については、加賀百万石の五代目藩主である松雲公前田綱紀(つなのり)が、1685(貞享2)年に百の桐箱を東寺に寄進して、早くから伝わった文書を納めさせたので百合文書と呼ばれるようになったといわれています。
そして私もこの連載の第一回以降、おおよそこのような常識的な理解に基づいてお話をしてきました。

 

しかし、厳密にいいますと、1967(昭和42)年に、東寺が京都府に譲渡した松雲公寄進の桐箱は94箱でした。そこで、東寺は六つの桐箱を新調し、全体として百箱にして府に納めました。ここで、松雲公の寄進は果たして通説のように百箱だったのかどうかという重要な問題が起こります。

 

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前回は、夏休み特別企画ということで、百合文書が収納されている桐箱のペーパークラフトを紹介しました。

そして第二弾の今回は、百合文書を飾れる簡単なミニ掛け軸を作ってみました!

 

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8月になりましたね。夏休みを満喫している学生さんもおおいのではないでしょうか?

そこで今回の百合百話は、夏休み特別企画!!

タイトルにも書いてあるように「百合文書を作ってみよう!」ということで、第一弾は百合文書が収まっていた桐箱のペーパークラフトを作ってみました!

 

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室町時代になると、東寺による備中国新見荘(現・岡山県新見市)の支配は行き詰まりを見せます。そこで東寺は、現地の武士や守護の家臣を代官に据えることで対処しようとしました。ところが百合百話「第57話」でご紹介したように、その代官が横暴を繰り返したため、耐えかねた百姓は一致団結し、寛正2(1461)年に代官を新見荘から追い出してしまいました。

 

その翌年に、新見荘である男女が運命的な出会いを果たします。男性の名前は「祐清」。代官追放の知らせを受けて、新代官として新見荘の支配を立て直すために東寺から赴任してきた僧侶です。そして、女性の名前は「たまかき」。現地で勢力をふるった福本氏の娘です。一説には二人は恋仲にあったといわれていますが、百合百話「第64話」でご紹介したように祐清殺害事件が起こり、二人の仲は終わりを告げました。

 

現在、新見市内には祐清にまつわる史跡がいくつか残っています。今回はその祐清ゆかりの地をご紹介します。

 

© OpenStreetMap contributors

 

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平安時代末期以降、各地で定期市が開かれるようになります。月に3回開かれる定期市を「三斎市(さんさいいち)」、月に6回開かれる定期市を「六斎市」といいます。平安時代末期~鎌倉時代にかけては三斎市が一般的でしたが、南北朝時代になると六斎市を開く地域が出てきました。

 

東寺領として有名な備中国新見荘(現・岡山県新見市)でも三斎市が開かれていました。今回の百合百話は、三斎市が開かれた新見荘の「市庭(いちば、市場のこと)」について取り上げたいと思います。

 

①三日市の横を流れる高梁(たかはし)川

①三日市の横を流れる高梁(たかはし)川

 

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百合百話「第57話」と「第64話」の2話にわたり、東寺領の備中国新見荘で起こった「武家代官の追放」と「祐清殺害事件」の一部始終を紹介しました。横暴を働く代官に憤りを覚えたり、たまかきの悲恋に心を打たれたりした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

備中国新見荘は現在の岡山県新見市にあった荘園で、今でもその名残をとどめています。今回から3話連続で新見荘の史跡をご紹介します。

 

新見荘の中央を流れる高梁(たかはし)川

新見荘の中央を流れる高梁(たかはし)川

 

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お問い合わせ先
京都府立京都学・歴彩館

京都市左京区下鴨半木町1番地29

電話番号:075-723-4831

URL :
http://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/
E-mail:
rekisaikan@pref.kyoto.lg.jp

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