京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

廿一口方(にじゅういっくかた)・十八口方(じゅうはっくかた)・学衆方(がくしゅかた)・鎮守八幡宮方(ちんじゅはちまんぐうかた)・最勝光院方(さいしょうこういんかた)・宝荘厳院方(ほうしょうごういんかた)・不動堂方(ふどうどうかた)・植松方(うえまつかた)など、東寺には様々な僧侶の組織があります。

 

組織の人員は、廿一口方が供僧一臈(いちろう(最上位の僧侶のこと))を含む二十一人の供僧で構成されているほか、学衆方は二人の学頭(がくとう(学事を統括する僧侶のこと))を含む十六人の学衆、鎮守八幡宮方は三十人の鎮守八幡宮供僧というように組織ごとに異なり、一人の僧が別の組織に重複して所属する場合もありました。

そのなかでも、廿一口方は最も重要な組織として位置付けられています。

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「京都新聞」2016年7月23日付24面記事を転載

最初の「晴れ姿」            

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

1967(昭和42)年当時の東寺百合文書収納状態

 

掲載している写真は私にとっては実に迫力のある写真ですが、多くの読者の方には何だかよく分からないのではないでしょうか。どうやら文書が雑然とぎっしり箱に詰まっているようです。

これが、「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された東寺百合文書を、1967(昭和42)年3月に京都府が受け入れた当初の姿であり、あえて「晴れ姿」といいます。

簡単に説明しますと、現状確認のために百合の蓋を開け、上から撮影した写真を集合合成したものです。

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後七日御修法とは毎年正月8日から14日まで宮中の真言院で行われた仏事のことで、玉体安穏や五穀豊穣などを祈りました。現在は東寺の灌頂院で行われています。

 

百合百話「第61話」と「第62話」でも取り上げましたが、承和2(835)年に初めて実施されて以来、1,000年の歴史の中で数々のドラマが生まれました。今回の百合百話は、16年越しに後七日御修法をやり遂げた「文観(弘真とも)」のエピソードをご紹介します。

 

左:ろ函3号-25「真言院後七日御修法請僧交名」建武3(1336)年

右:ろ函3号-25「真言院後七日御修法請僧交名」建武3(1336)年(裏)

 

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戦国時代の東寺百合文書の中でよく知られるものに、永禄11年(1568)9月日の日付けをもつ織田信長禁制があります(せ函武家御教書並達86号)。この文書がよく知られているのは、その形状や内容ではなく、戦国武将として人気のある織田信長が発行したものという理由からです。信長の歩みの中で説明すると、信長が室町幕府第15代将軍になる足利義昭を奉じて入京した時のものとして知られています。東寺に残る信長文書の唯一の正文であること、信長の「天下布武」印のあることなどから、展示会によく出品され、図版が図書類にもよく紹介されます。

 

せ函武家御教書並達86号 織田信長禁制

せ函武家御教書並達86号「織田信長禁制」永禄11(1568)年9月日

 

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「京都新聞」2016年6月25日付26面記事を転載

大般若経6合と文書箱94合            

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 

東寺百合文書は、1997年6月、国宝に指定されました。東寺宝物館では記念として、その秋に特別展「東寺文書十万通の珠宝―時空を超えて」を開くことになり、準備を始めた頃だったと思います。学芸員(現文化財保護課長)の新見康子氏と宝物館3階の収蔵庫に上がりました。いつも目にしているのですが、ちょうどよい機会で「何か面白いことがあるかもしれない」と、国の重要文化財に指定されている大般若経6合の箱の蓋を開けて底裏を眺めてみました。すると、何と銘があるではないですか。これにはしばし、絶句しました。

 

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天正19(1591)年閏正月から4月ごろにかけて、豊臣秀吉は京都の町を堀と土塁で取り囲む惣構えを築きました。北は鷹峯の南側、東は鴨川の西岸、西は西ノ京の付近、南は九条通までを取り囲む全長約22.5キロメートルの壮大なもので、一般に御土居の名称で呼ばれています。南側については、東寺付近のみ九条通まで張り出し、油小路通以東は京都駅付近を限りとしています。東寺の南側は九条通を残して御土居で囲まれ、九条通を西へ進んだところが鳥羽口(東寺口)として西国街道や鳥羽街道に通じる御土居の出入り口の一つになっていました。

 

© OpenStreetMap contributors

 

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終了しました。ご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
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今回開催する「東寺百合文書データミーティング」は、東寺百合文書そのものや、書かれている内容についての講演とはちがって、東寺百合文書をコンピュータ上で扱うためのデータについて議論しようという集まりです。

 

東寺百合文書データミーティング
日時: 2017年10月26日(木)14:00~16:30
場所: 京都府立京都学・歴彩館 小ホール(大ホールから変更しました)
内容: 発表(20分×5名)、質疑・提案・トーク(40分)
発表者: (順不同)山田太造(東京大学史料編纂所)、後藤真(国立歴史民俗博物館)、永崎研宣(人文情報学研究所)、橋本雄太(国立歴史民俗博物館)、 岡本隆明(京都府立京都学・歴彩館職員)

 

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東寺百合文書WEBの目録データをまとめてダウンロードすることができます(→リンク)。

※ zipファイル内のテキストファイルはおよそ6MBから17MBのサイズです。ひらくときはご注意ください。

 

ご自分のコンピュータで検索にご利用になることはもちろん、データの加工や配布も可能です。また、ウェブサイトやサービスに組み入れて公開することも可能ですので、ぜひご利用ください。

 


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「京都新聞」2016年5月28日付24面記事を転載

文書は百箱だったのか            

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 ゑ函

京都府立京都学・歴彩館で保管している「イ函」の桐箱。

 

東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)については、加賀百万石の五代目藩主である松雲公前田綱紀(つなのり)が、1685(貞享2)年に百の桐箱を東寺に寄進して、早くから伝わった文書を納めさせたので百合文書と呼ばれるようになったといわれています。
そして私もこの連載の第一回以降、おおよそこのような常識的な理解に基づいてお話をしてきました。

 

しかし、厳密にいいますと、1967(昭和42)年に、東寺が京都府に譲渡した松雲公寄進の桐箱は94箱でした。そこで、東寺は六つの桐箱を新調し、全体として百箱にして府に納めました。ここで、松雲公の寄進は果たして通説のように百箱だったのかどうかという重要な問題が起こります。

 

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前回は、夏休み特別企画ということで、百合文書が収納されている桐箱のペーパークラフトを紹介しました。

そして第二弾の今回は、百合文書を飾れる簡単なミニ掛け軸を作ってみました!

 

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お問い合わせ先
京都府立京都学・歴彩館

京都市左京区下鴨半木町1番地29

電話番号:075-723-4831

URL :
http://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/
E-mail:
rekisaikan@pref.kyoto.lg.jp

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