京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

21. 桐箱の話―百合文書の箱は、塗りの箱?―

2014-07-17

今回の百合百話は文書に書かれている内容からは離れて、文書を納めている桐箱についてのお話です。

 

百合桐函のシ函

シ函
百合桐函のニ函(1)

ニ函(1)
百合桐函のニ函(2)

ニ函(2)
百合桐函のニ函(3)

ニ函(3)
百合桐函のニ函(4)

ニ函(4)

 


百合百話にふさわしく、百歳のKさんにいただいた質問から発展した話題です。

 

Kさんは、大正3(1914)年2月24日生。今年めでたく満百歳を迎えられました。

 

先日、Kさんをお訪ねした際に、「東寺百合文書」のことが話題になりました。共通の知人のFさんが、「東寺百合文書」のファンで、Fさんの話題が出たところで、私が「東寺百合文書」と言ったとたん、Kさんから「百合文書っていうのは、あれはユネスコでしょ。」と返ってきました。実はその2日前に、「東寺百合文書」がユネスコの記憶遺産に推薦されることが正式決定したばかりでしたので、情報収集の速さに驚いたのですが、実は、そのことはご存じなく、推薦候補のひとつであったことをご存じのようでした。それにしても百歳にして「ユネスコ」という言葉が即座に返ってくるあたり、Kさんはただ者ではありません。

 

そのKさんから、鋭い質問の言葉が発せられました。「百合文書の箱は塗りの箱なの?」意表を突く質問に、「桐の箱で、塗りの箱ではありません。」と答えるのがせいぜいでした。よく考えてみると、桐箱にも塗りの箱はあるのですが、塗りの箱といえば、蒔絵の文箱のような物しか思い至らず、そのような答えになってしまいました。「あら、塗りの箱だと思っていたのに。」というKさんの意外そうな言葉が心にひっかかり、また、よく考えてみると、百合文書の箱は茶色で、木地の経年変化だけでは、このような色にはならないだろうと思われ、何らかの塗装がなされていると考えられました。

 

調べてみると、漆器には、木地に透明の生漆を塗って布で拭き取る作業を繰り返し、木目を生かして仕上げる「拭き漆」という技法があるということがわかりました。塗りの箱の可能性もでてきたわけです。そこで、漆器等の工芸品に詳しい学芸員の友人Sさんに尋ねたところ、箱の色や、艶、箱裏の塗り方等を総合的に判断して「柿渋を下地にした漆塗りではないか」とのアドバイスをもらいました。柿渋には防虫、防かび、防湿効果があり、漆を直接塗るより漆の量も少なくすむので安価であり、もちもよくなるとのことでした。桐箱には、軽くて調湿性に優れ、割れや狂いが少ないという特性があり、万一の火災の際にも、熱伝導率が極めて低く燃えにくいという利点もあります。このように、桐箱に上記のような塗装を施すことで、文書箱としては最良の品となります。

 

ということで、Kさんの質問に対しては「百合文書の箱は、柿渋の下地の漆塗りの桐箱」と答えるのが最も適当な回答となります。

 

ところで、百合文書の名称の由来となったこの箱を東寺に寄進したのは、加賀藩の第5代藩主前田綱紀ですが、どのようなきっかけで、この箱を寄進したのでしょうか。綱紀は、朝廷や、幕府、公家や大名、各地の社寺等が所蔵する古文書を収集しましたが、古文書を借用して筆写させ、所蔵者に返却する際に、そのままでは散逸や虫損が生じるおそれがある時には、所蔵者の承諾を得て、謝礼として文書を保護するための箱等を作成したそうです。「東寺百合文書」の箱以外にも、公家の三条西家の蔵書の修理と文庫の修繕等が知られています。また、金沢城内には、御細工所という武具や種々の伝統工芸品の工房があり、手先の器用な武士や町方の職人が、技術の習得や研鑽に努めたそうで、百合文書の桐箱もおそらくこの御細工所で作られたものと思われます。

 

このように、綱紀は、領国の伝統工芸の振興や、各地の文化財の収集、保存に貢献した名君でしたが、まさに、百合の箱あっての「百合文書」であり、綱紀こそが「東寺百合文書」が記憶遺産に推薦された一番の功労者でもあるといえるのではないでしょうか。

(松田万智子:京都府立総合資料館 文献課)

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