京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

42. “交通費”をめぐる攻防―経費削減か安全第一か―

2015-06-10

勤務先まで電車で通えば15分。てっきりそれで交通費が支給されると思っていたら、40分かかるがバスの方が安かったため、バス代が交通費として支給されることになったとしたらどう思うでしょうか。

 

経費削減という観点からみれば「当然だ」と思うかもしれませんが、一方で、電車であれば「もう少し寝られるのに…」と思う人は少なくないでしょう。経費削減がかまびすしく言われる昨今、よくある話です。

 

ところが、交通費の支給を安くすませようとする話は何も現代だけに限ったことではありません。東寺百合文書をみてみると、南北朝時代に、年貢の輸送に要した交通費の支給額をめぐって、支給する側の領主と支給される側の荘民との間で攻防が繰り広げられています。今回は交通費をめぐる論戦を紹介することにしましょう。

 

ラ函9号 学衆評定引付

ラ函9号「学衆評定引付」永和2(1376)年11月3日条

 

中世の東寺の僧侶は、東寺が支配する荘園の経営について、会議を開き意思決定をしていくのですが、その議事録が上の写真です。掲載している箇所には、永和2年(1376年)10月晦日に播磨国矢野荘(現在の兵庫県相生市)から東寺へ年貢(銭20貫文)を運んできた者への交通費について議論していることがわかります。どのようなことが記されているのか現代語訳をしてみましょう。

 

 

矢野荘があった地域の現在の様子

矢野荘年貢の路次(運送路)のことについて。

丹波路であるべきことは、すでに定めていたところであるのに、このたび年貢を運んできた播磨国矢野荘の荘民は「南路」(山陽道)を通って上洛してきたと言っている。山陽道には5ヶ所関所があり、関賃(関の通行料)は800文かかったとも言っている。年貢運送路は丹波路と定めているのに、山陽道を通ってきたことについて、荘民に事情を詳しく尋ねてみたところ、当初は丹波路を進んでいたのだが、「抜群物」に追いかけられ、ほうほうの体で二木宿まで逃げてきた。丹波路は「抜群物」に遭遇するかもしれず恐ろしいので、それを避けて山陽道を通ってきたのだという。

 

 

ここまでをみてみると交通費が議論になった理由は、矢野荘から東寺に年貢銭を運ぶ矢野荘の荘民は、丹波路を通ってくることが定められていたのですが、運搬者が山陽道を通ってきたため、関銭(関所の通行税)が余分にかかってしまった、というところにあるようです。経費がかさんでいるところが問題となっているわけですから、東寺はとにかく交通費を抑えようとしていたことがわかります。経費削減はいつの時代も経営者の課題だったようです。ですから、「交通費が余計にかかっているのは何事だ」と東寺は荘民に対して問いただしているのです。

 

ただし、荘民にも言い分があります。定められた丹波路をあえて避けて山陽道を通ったのは、丹波路を進んでいたところ「抜群物」に襲われたためだとあります。「抜群物」とはおそらく山賊のたぐいでしょう。20貫文もの年貢銭を持っていたわけですから、奪われたらたいへんです。危ない道は避けて、安全な道を通り、確実に年貢を東寺へ納めるため山陽道を選んだと考えられます。山陽道を通ったのは荘民なりに機転をきかせての判断だったのです。このことは東寺にとっても良い判断だったといえます。なぜなら年貢が奪われてしまっては、東寺の矢野荘からの収入はゼロとなってしまうからです。荘民たちにも一理ありです。一度危険な目にあっているにもかかわらず、それにめげず、道を変えて年貢を東寺まで届けたわけですから、荘民たちはきっと東寺にほめてもらえるだろう思っていたことでしょう。

 

経費の削減か、はたまた安全第一か。そんなせめぎ合いが東寺と荘民との間で繰り広げられていたわけですが、結果はどうなったのでしょうか。議事録の続きを読んでみましょう。

 

 

東寺領荘園と交通要地(第五回東寺百合文書展図録より引用)

荘民たちが「抜群物」に襲われたから山陽道を通ってきたというのは信用しがたい。道の危険度は、丹波路よりも山陽道の方が高いはずだ。よって、交通費は本来のとおり丹波路分のみを支給することにする(山陽道の通行にかかった関料800文は支給しない)。どうしても関料800文を支給してほしいというのであれば、「抜群物」に襲われた時の状況を起請文の形式で詳しく報告せよと荘民に伝えた。そもそも矢野荘は、前に東寺が出した命令に従わず、言うことをきかせようと厳しく言い立てれば、逃散する腹積もりでいると、現地の責任者である祐尊が東寺に報告してきている。このことをこの会議で話し合ったところ、けしからんことである。重ねて厳しく命令を下すべきだということになった。

 

 

結果は荘民たちの期待を裏切るものでした。交通費は本来通るべき丹波路分しか支給せず、山陽道を通って余分にかかってしまった関銭は荘民の自己負担ということになってしまったのです。

 

こういった結論を下した理由を、東寺は荘民の山陽道を通った理由について信用できないからだと述べています。荘民は丹波路が危険だと述べているが、いやいや丹波路よりも山陽道の方が危険だと。なぜ東寺が山陽道の方が危険だと断言できるのかは定かではありません。なにかしらかの判断材料を東寺は持ち合わせているのかもしれませんが、どうやら別の要因があるように思えてなりません。

 

よくよく最後までみてみると、そもそも東寺と矢野荘民との関係がかんばしくないことがわかります。この引用箇所によれば、このときの両者の関係は、荘民が東寺の命令に従わないという状況で、東寺が無理に言うことを聞かせようとすると、荘民は逃散(耕作放棄)という手段に出ると荘園現地の責任者から報告を受けています。耕作放棄をされると収穫ができないわけですから、年貢もなくなってしまい東寺は困るわけです。現地責任者からのこんな報告もあって、東寺は荘民を疑いのまなざしで見ざるをえないような状況にあったのです。これが荘民の言い分を信じることができない理由であったと思われます。荘民の言っていることが本当だとすれば、とてもかわいそうな処置だと言えます。読者のみなさんも荘民の落胆する顔が目に浮かぶのではないでしょうか。

 

ただし東寺は荘民にもう一度抗議する機会を与えています。丹波路で起きた事件の詳細を起請文形式で述べればもう一度考えると述べています。神に誓ってうそいつわりが無い旨を表現する起請文形式である点は現代と異なりますが、出張報告をしなければ出張であることが認められない現代と同じように、交通費の支給にはきちんとした文書での説明が求められていたことがわかります。こういうやりとりをみるとどこか健全な関係にみえてくるのはわたくしだけでしょうか。

 

東寺百合文書をみていくと、経費の削減は、昨今の話だけではないことがわかります。こうした厳しい支給状況をみると、荘民に気持ちが傾いてしまいますが、支給される側も支給する側を説得する気概が必要なのかもしれませんね。

 

(工藤克洋:同朋大学 仏教文化研究所 非常勤所員)

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