京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

46.東寺百合文書掲載利用数ランキング!

2015-10-29

10月10日に東寺百合文書が世界記憶遺産に登録されました!

これをきっかけに、初めて東寺百合文書WEBをご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

東寺百合文書WEBで公開している画像は、申請など不要で利用していただけますが、WEBができる以前は、写真を出版物に載せるなど画像を使用する際は、資料特別撮影利用申請が必要でした。

東寺百合文書が国宝に指定された翌年の1998年度から2015年10月現在までの申請をまとめてみると、のべ19,264点の文書が利用されていることがわかりました。(WEBからの利用を除く)

 

そこで、今回の百合百話では、1998年度から2015年10月現在までの「東寺百合文書掲載利用数ランキング」をご紹介したいと思います!

 

まず第5位から!(19件)

せ函足利将軍家下文3号 足利直義裁許状

せ函足利将軍家下文3号「足利直義裁許状」貞和5(1349)年閏6月27日

 

足利直義が播磨国矢野荘(現在の兵庫県相生市)の地頭の押領をやめ、東寺の知行を全うするように命じた裁許状です。

こちらは、入学試験の問題で使用されたため、参考書などで利用されました。

 

第4位(20件)

は函86号-1 若狭国太良荘百姓等申状

は函86号-1「若狭国太良荘百姓等申状」建武元(1334)年8月日

 

若狭国太良荘(現在の福井県小浜市)の百姓が、非法をおこなう地頭代官脇袋彦太郎(頼国)の解任をもとめて東寺に出した申状です。

こちらは、福井県に関する書籍などで利用されました。

 

第3位(22件)

と函153号 伊予国弓削島荘地頭領家相分差図

と函153号「伊予国弓削島荘地頭領家相分差図」

 

 鎌倉時代、東寺領である弓削島荘(現在の愛媛県越智郡上島町の弓削島と百貫島)に地頭が任命されてやってきました。地頭が活動するようになると東寺の役人との間で様々なトラブルが生じるようになりました。

 そこで、東寺の役人と地頭の代理人が荘園を分割することを取り決めました。(マ函16号)

 田畠・山林・塩浜などの土地を三分割し、三分の二を東寺領、三分の一を地頭領とすることに決め、その様子を表した絵図です。

 こちらは、文書が展示された特別展の図録や弓削島に関する書籍などで利用されました。

 

第2位は同数(31件)で2つあります!

まずは一つ目

京函48号-2「関東事書案」永仁5(1297)年3月6日

京函48号-3「関東事書案」

京函48号-4「関東御教書案」永仁5(1297)年7月22日

 

永仁5(1297)年3月6日鎌倉幕府が発布した法令の写し。永仁の徳政令と呼ばれています。

こちらは、テレビ番組などで利用されました。

 

続いて二つ目

ゆ函84号 たまかき書状并備中国新見荘代官祐清遺品注文

ゆ函84号「たまかき書状并備中国新見荘代官祐清遺品注文」

 

 たまかきは備中国新見荘(現在の岡山県新見市)の荘官福本盛吉の姉か妹で、祐清の在荘中、身の回りの世話をした女性です。祐清の遺品を目録として書き上げ、葬儀の費用の処理の仕方を報告するとともに、「白い小袖・紬の表・布子」の3品について、形見として貰い受けたいと訴えています。

 こちらは、岡山県新見市に関する書籍などで利用されました。

 

栄えある第1位は!(34件)

ツ函341号 山城国桂川用水差図案

ツ函341号「山城国桂川用水差図案」

 

明応3(1494)年から、桂川からの引水をめぐって、西岸の西岡五カ荘(上久世・下久世・大藪・牛瀬・築山)と東岸の石清水八幡宮領西八条西荘(現在の京都府京都市南区)が相論を展開します。この差図は明応5年に西八条西荘が裁判の資料として幕府に提出したものです。

こちらは、荘園に関する書籍などで利用されました。

 

文書の利用数ランキングは以上の結果となりました!

「東寺百合文書について調べてみたいけど、どの史料を見たらいいか決められない!」

という方は、これらの史料から検索してみてはいかがでしょうか?

 

申請書には、文書だけではなく百合文書が保管されていた桐箱も登場しています。

こちらも1998年度から2015年10月現在までの「東寺百合文書桐箱掲載利用数ランキング」をご紹介したいと思います!

 

第5位(6件)

東寺百合文書桐箱 イ函

イ函

 

第4位(8件)

東寺百合文書桐箱 ノ函

ノ函

 

第3位(10件)

東寺百合文書桐箱 ニ函

ニ函

 

第2位(12件)

東寺百合文書桐箱 シ函

シ函

 

第1位(17件)

東寺百合文書桐箱 い函

い函

 

桐箱の利用数ランキングは以上の結果となりました!

写真を見てお気づきになった方もいらっしゃると思いますが、蓋の裏に何か文字が書かれていることがわかります。

蓋の裏には、この箱がどのようにして伝わったのかという寄進の来歴が記されており、書き方には詳しいものと簡単なものの2パターンあります。この内、詳しく書かれているものは、10箱しかありません。

「い函」と「ろ函」の蓋裏には同じ文章が書かれていますが、それ以外の箱の蓋裏の文章はすべてどこかに違いがあります。箱を見る機会がありましたら、ぜひチェックしてみてください!

 

また、桐箱の中には一つだけ本来の蓋とは違う蓋を使用している箱があります。「ゑ函」です。

資料館に百合文書がやって来た時、箱本体は他の箱と同じく前田綱紀の寄進によるものですが、蓋はどのような理由があったのかはわかりませんが、本来のものとはちがっていました。

 

 

 P1030493 P1030511 P1030513

 

しかしその後、東寺観智院宝蔵から「ゑ函」のもともとの蓋が発見されました。

このような理由で「ゑ函」は現在、箱本体は資料館にあり、蓋は東寺にあります。

いつか会えるといいですね!

 

(伊藤:歴史資料課)

 

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京都市左京区下鴨半木町1番地29

電話番号:075-723-4831

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