京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

再読!91歳上島有(うえじまたもつ)さんの東寺百合秘話 ⑤

2017-03-13

「京都新聞」2016年3月26日付28面記事を転載

宝蔵と御影堂経蔵              

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

  1. 東寺の二つの顔は、「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」と「弘法さん」という二つの信仰形態、そして伽藍(がらん)と御影堂(みえどう)という堂舎のあり方の違いにとどまりません。寺宝の収蔵状況にもみられます。

     

  2. 中世以来、東寺の重要な宝庫は伽藍の一部となる「宝蔵」と、西院の「御影堂経蔵」の二つでした。そこに収納された重宝類も、宝蔵には平安時代以来の鎮護国家の修法に関する重宝類、御影堂経蔵には鎌倉時代以来の大師信仰に関する宝物類と、見事にこの二つの顔、二つの信仰形態に相通ずるものでした。 

 

まず宝蔵には、三国伝来の仏舎利をはじめ、五鈷杵(ごこしょ)、五鈷鈴(ごこれい)、金銅盤などの道具類や犍陀穀糸袈裟(けんだこくしけさ)、また両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)、五大尊像、十二天像、真言七祖像などの法会の本尊類などが収められていました。これらの多くは、弘法大師の請来品を中心に平安時代以来の後七日御修法をはじめ灌頂院(かんじょういん)御影供その他の法会に用いられる鎮護国家の重宝類と言うことができます。堂舎では、宝蔵は間違いなく平安時代以来の伽藍の一部であることは言うまでもありません。

  1.  

  2. 一方、御影堂経蔵は、現在の御影堂の内々陣の西側一間四方の「控えの間」にあたります。菩提院行遍(ぼだいいんぎょうへん)が寄進した宣陽門院所持の宋版大般若経がここに収められていましたので、御影堂経蔵と呼ばれています。「内陣文庫」あるいは「西院文庫」とも言われます。ここには、弘法大師空海自筆の弘法大師尺牘(せきとく)(風信帖(ふうしんじょう))をはじめ、弘法大師請来目録・真言付法伝、また御請来聖教といった大師ゆかりの経典などが収められていました。これらは、いずれも鎌倉時代以降、大師信仰に基づいて寄進、収集された重宝類であります。なお、近世になりますと、あらたに西院に霊宝蔵が建設され、これら御影堂経蔵の宝物はすべてここに移されました。

     

  3. 簡単に言いますと、東寺の寺宝は平安時代以来の鎮護国家の修法に関するものと、鎌倉時代以来の大師信仰に関するものとの二つに画然と分かれていました。それに応じてそれを収める場所も、宝蔵と御影堂経蔵というように、はっきり二つに分かれていました。当然と言えば当然のことですが、見事な区分と言えます。

     

  4. 第2話で、東寺百合文書は本来は宝蔵に収められるべきものではなく、基本的には中世以降の大師信仰を中心としたものなので、西院のどこかで保管されるべきものであったと言いました。しかし、西院にはそれを収める広い場所がなかったので、やむをえず本来の原則を破って宝蔵に収蔵されることになりました。それは以上のことでご理解いただけると思います。

     

  5. このようにして、東寺には平安時代以来の宝蔵と、鎌倉時代の御影堂経蔵の二つがあったというだけではなく、そこに収蔵の重宝類も鎮護国家の修法に関するものと、大師信仰に基づくものの二つが、明確に区別されていたことが分かっていただけたかと思います。それが一つの東寺に統一され、美しい調和を奏でているのです。

 

東寺百合文書から 文保元年四月 日 大納言法印道我所進文書目録「所領の権利者示す書類」

(聞き手・仲屋聡:京都新聞記者)

 

メ函105号 大納言法印道我所進文書目録

メ函105号「大納言法印道我所進文書目録」文保元(1317)年4月日

 

  1. 正和2(1313)年12月7日、後宇多法皇は東寺保護の目的で山城国拝師荘、同国上桂荘、同国八条院々町、播磨国矢野荘を寄進しました。
    これら4カ所は、その後東寺領の最も重要な所領となるものでした。また、これらの所領は、法皇の信任が厚かった大納言法印道我が管理していました。しかし、道我は徐々にその権限を学問を専門とする僧侶の「学衆方」に渡していき、その指標となるのがこの文書です。

     

  2. この文書は、差出書を欠き、誰の文書か不明ですが、筆跡や内容から間違いなく道我のものと分かります。ここには、拝師荘など3カ所の院宣をはじめ重要な文書類を「寺庫」に収めるとみえます。
    「寺庫」というのは本文でみた御影堂経蔵のことです。これらの文書は、それぞれの所領にとって最も基本的な証拠書類で、それを持っていることは、その所領の権利者であることを示すものです。

     

  3. 本来ならば、これらの文書は、道我が学衆方の奉行(年預)に渡すべきものです。そして、学衆方の奉行から、東寺の重要書類として「寺庫」、すなわち御影堂経蔵へ収められるのが普通です。
    理由は分かりませんが、道我はこれを直接「寺庫」に収めたのです。

     

  4. 本文で話したように、中世における東寺の文書類の管理は、鎮護国家の法会・修法に関するものは宝蔵に、鎌倉時代以来の大師信仰に関するものは御影堂経蔵にと、極めて組織的に管理されていました。それは実に鎌倉時代まで遡ることが確認できています。

     

  5. ちなみに、拝師荘というのは、現在の京都市南区の東部で、東九条、西九条、上鳥羽あたりにあった散在性の荘園です。また上桂荘は現在の西京区桂上野の地、八条院々町は京都駅八条口あたり一帯の地で、いずれも東寺に近い場所にありました。

 

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