京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

二条城の南側に、境内に大きな池のあるお寺があることをご存知でしょうか?
このお寺は「神泉苑」といい、御池通りは神泉苑の池の傍を通るため、この名前になったという説があります。
また、源義経の一代記である『義経記』では、源義経と静御前が出会った場所とされています。

 

神泉苑は、延暦13(794)年頃に平安京大内裏に接してに建てられた天皇の禁苑(天皇のための庭園)で、平安時代初期には、天皇の離宮や後院(天皇の隠居後の住まい)などに利用され、詩宴や観花などさまざまな宴が催されていました。

 

苑内には大きな池があり、池の北側には乾臨閣(けんりんかく)と呼ばれる建物が建っていました。池の真ん中には中島(池の中に造られる人工の島)があり、池の南側には南山とよばれる築山(庭園などに築かれる人工の山)がありました。
当時の神泉苑の規模(青枠)と現在の規模(オレンジ枠)と比べると広大な敷地であったことがわかります。

 

                                                             © OpenStreetMap contributors

 

左:平安時代の神泉苑図※1
右:神泉苑規模比較図

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「京都新聞」2016年2月27日付24面記事を再掲

「伽藍」と「御影堂」              

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

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  1. 前回は、東寺(教王護国寺、京都市南区)の「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」と「弘法さん」がテーマでしたが、引き続き東寺の「二つの顔」についてみておきましょう。
    それは「後七日御修法」と「弘法さん」という二つの信仰形態にとどまるものではありません。その信仰形態の違いは、東寺全体の堂舎のあり方にも反映されています。
  2.  
  3. 東寺の正門である南大門から入ると、金堂、講堂、食堂という堂々とした伽藍(がらん)が立ち並んでいます。また、南大門の右手には五重塔、左手には灌頂院(かんじょういん)が配置されています。これが、平安時代以来の鎮護国家の伽藍です。

     

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東寺百合文書には、山城国上久世(かみくぜ)庄、若狭国太良(たら)庄、播磨国矢野(やの)庄、備中国新見(にいみ)庄など、多くの荘園が出てきます。荘園(庄園とも書く)とは寺の恒例・臨時の法要を営むときや堂塔を建築・整備するときなどの経費を捻出する土地のことで、百合文書には東寺に関する荘園文書(寄進関係、諸職宛行関係、年貢関係、相論関係等)が数多く残っています。

ちなみに「百合百話」でもこれまでに矢野庄(第35話~第37話)、摂津国垂水(たるみ)庄(第26話、第27話、第32話)、伊予国弓削島庄(第40話)などの話が取り上げられています。

 

東寺百合文書WEBで、「百合文書をさがす」の詳細検索のキーワード欄に「太良庄」を入れると2113点がヒットします。同様に「矢野庄」では1355点、「上久世庄」では1346点、「新見庄」では1129点です。それに比べると、「垂水庄」では409点、「弓削島庄」では200点と、ヒット数は多くありません。

 

百合文書をさがす:http://hyakugo.kyoto.jp/contents/search.php

 

 

百合文書をさがす

 

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古文書のくずし字を活字になおすとともに、年代・人名・地名などの情報を注記として付すことを「翻刻」といいます。この度、翻刻史料集『東寺百合文書』第12巻を刊行しました。百合文書を利用した歴史研究の進展を期待しつつ、一般の方にも百合文書に書かれた内容に気軽に触れていただければと思います。


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本書の概要は以下の通りです。

 

・第12巻の概要

書 名 東寺百合文書 十二

内 容 リ函1号~163号

規 格 A5判

頁 数 452頁

定 価 11,500円(税別)

発行者 (株)思文閣出版

発行日 平成28(2016)年10月1日

 

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今年も多くの台風が日本に上陸しました。台風中継などを視ていると、改めて自然の猛威を実感します。各地で大きな被害が出ていますが、中世の人々も同様に台風の被害に頭を抱えていました。

 

め函1号「伊勢国大国荘田堵等解」保安3(1122)年1月28日

 

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「京都新聞」2016年1月23日付22面記事を再掲

「後七日御修法」と「弘法さん」               

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 

新年早々の8日から14日まで、東寺(教王護国寺、京都市南区)では「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が厳修されました。また、21日は「初弘法」で東寺の境内はもちろん、周辺も参拝の善男善女で大いににぎわいました。

 

「後七日御修法」と「弘法さん」は東寺を象徴する「二つの顔」だと思います。そして、東寺百合文書にも脈々と流れている東寺の「二つの信仰」であると言ってもよいかもしれません。しかも、それぞれ独自に機能しているのではなく、混然一体となって素晴らしい調和を醸し出しているのが東寺です。

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強面の代官が圧政で民衆や百姓を苦しめる―これは主に、江戸時代を舞台にした時代劇でよく見かける定番のシチュエーションですね。

テレビでこうした場面を見るたび、苦しむ百姓たちの姿に心が痛みますが、歴史を振り返ってみると、必ずしも百姓たちは苦しめられるばかりではありませんでした。時代は遡りますが、今回は東寺領である備中国新見荘(現在の岡山県新見市)の百姓たちが、自分たちを苦しめる代官を追放したというお話を紹介します。

 

え函104号「備中国新見荘百姓等申状」7月26日

 

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「京都新聞」2015年12月12日付28面記事を再掲

松雲公の偉大な功績               

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

  

 

東寺百合文書桐箱 ノ函

加賀藩主前田綱紀から寄進された桐箱

 

東寺百合文書は、名が象徴するように我が国の古文書のうちでも特別な文書であります。文書の質や内容が特に優れていることは言うに及ばず、古くは奈良時代から江戸時代にいたる千年以上にわたる2万点3万通という大量の文書は、まさに壮観というべきでありましょう。これらの文書が現在に伝えられた最大の功績は、松雲公(加賀藩主前田綱紀)による「百合」の寄進というべきだと思います。

 

いずれの寺社や公家、武家の家柄においても文書類をはじめとする寺宝、社宝、家宝の類いは大切に伝えられるべきものです。その中でも東寺は寺宝尊重の意識が特に高い寺院です。だからこそ、古代以来の膨大な文書が残ったのです。

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買い物をしたときに、おつりでシワのないきれいなお札をもらうと、なんだか得した気分になりませんか?逆に、しわくちゃの使い古されたお札を渡されると、妙にがっかりしてしまいます。今回はそんなお金にまつわるお話です。

 

く函2号 廿一口方評定引付

く函2号「廿一口方評定引付」応永12(1405)年4月2日条

 

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「京都新聞」2015年11月28日付28面記事を再掲

特別な名前の由来               

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

東寺百合文書が10月にユネスコ記憶遺産として登録されました。我が国のまとまった古文書としては初めてで喜ばしいかぎりです。

私が大学に入って東寺百合文書の名前を見て、「とうじゆりもんじょ」と読み、何とロマンチックな文書もあるものだと思ったことを覚えています。しかし、これは「ひゃくごうもんじょ」です。

 

我が国の古文書は、ふつう東大寺文書、醍醐寺文書、あるいは伏見宮家文書、九条家文書など所蔵者の名を冠して呼びます。しかし、百合文書に限って「百合」と呼ばれています。それは、この文書が5代目加賀藩主松雲公前田綱紀が寄進した百の「被蓋(かぶせぶた)」の桐箱に納められたからで、箱を「一合」「二合」と数えるため、百合文書の名で呼ばれるようになりました。

 

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