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東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

今年も多くの台風が日本に上陸しました。台風中継などを視ていると、改めて自然の猛威を実感します。各地で大きな被害が出ていますが、中世の人々も同様に台風の被害に頭を抱えていました。

 

め函1号「伊勢国大国荘田堵等解」保安3(1122)年1月28日

 

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「京都新聞」2016年1月23日付22面記事を再掲

「後七日御修法」と「弘法さん」               

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

 

新年早々の8日から14日まで、東寺(教王護国寺、京都市南区)では「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が厳修されました。また、21日は「初弘法」で東寺の境内はもちろん、周辺も参拝の善男善女で大いににぎわいました。

 

「後七日御修法」と「弘法さん」は東寺を象徴する「二つの顔」だと思います。そして、東寺百合文書にも脈々と流れている東寺の「二つの信仰」であると言ってもよいかもしれません。しかも、それぞれ独自に機能しているのではなく、混然一体となって素晴らしい調和を醸し出しているのが東寺です。

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強面の代官が圧政で民衆や百姓を苦しめる―これは主に、江戸時代を舞台にした時代劇でよく見かける定番のシチュエーションですね。

テレビでこうした場面を見るたび、苦しむ百姓たちの姿に心が痛みますが、歴史を振り返ってみると、必ずしも百姓たちは苦しめられるばかりではありませんでした。時代は遡りますが、今回は東寺領である備中国新見荘(現在の岡山県新見市)の百姓たちが、自分たちを苦しめる代官を追放したというお話を紹介します。

 

え函104号「備中国新見荘百姓等申状」7月26日

 

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「京都新聞」2015年12月12日付28面記事を再掲

松雲公の偉大な功績               

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

  

 

東寺百合文書桐箱 ノ函

加賀藩主前田綱紀から寄進された桐箱

 

東寺百合文書は、名が象徴するように我が国の古文書のうちでも特別な文書であります。文書の質や内容が特に優れていることは言うに及ばず、古くは奈良時代から江戸時代にいたる千年以上にわたる2万点3万通という大量の文書は、まさに壮観というべきでありましょう。これらの文書が現在に伝えられた最大の功績は、松雲公(加賀藩主前田綱紀)による「百合」の寄進というべきだと思います。

 

いずれの寺社や公家、武家の家柄においても文書類をはじめとする寺宝、社宝、家宝の類いは大切に伝えられるべきものです。その中でも東寺は寺宝尊重の意識が特に高い寺院です。だからこそ、古代以来の膨大な文書が残ったのです。

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買い物をしたときに、おつりでシワのないきれいなお札をもらうと、なんだか得した気分になりませんか?逆に、しわくちゃの使い古されたお札を渡されると、妙にがっかりしてしまいます。今回はそんなお金にまつわるお話です。

 

く函2号 廿一口方評定引付

く函2号「廿一口方評定引付」応永12(1405)年4月2日条

 

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「京都新聞」2015年11月28日付28面記事を再掲

特別な名前の由来               

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)

 

東寺百合文書が10月にユネスコ記憶遺産として登録されました。我が国のまとまった古文書としては初めてで喜ばしいかぎりです。

私が大学に入って東寺百合文書の名前を見て、「とうじゆりもんじょ」と読み、何とロマンチックな文書もあるものだと思ったことを覚えています。しかし、これは「ひゃくごうもんじょ」です。

 

我が国の古文書は、ふつう東大寺文書、醍醐寺文書、あるいは伏見宮家文書、九条家文書など所蔵者の名を冠して呼びます。しかし、百合文書に限って「百合」と呼ばれています。それは、この文書が5代目加賀藩主松雲公前田綱紀が寄進した百の「被蓋(かぶせぶた)」の桐箱に納められたからで、箱を「一合」「二合」と数えるため、百合文書の名で呼ばれるようになりました。

 

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百合百話「44. 足利将軍自筆の文書」では、室町幕府2代将軍・足利義詮(よしあきら)と4代将軍・義持が書いた文書をご紹介しました。本来、将軍自ら筆をとることはまれで、文書や記録を書くのは書記官である右筆の仕事でした。今回はその右筆が書いた文書をご紹介します。

 

観応元(1350)年7月28日に義詮と高師直(こうのもろなお)は、土岐周済(ときしゅうせい)を討伐するために京都を出発しました。幕府の人事に不満を抱いていた周済が、美濃国(現在の岐阜県南部)で挙兵したからです。出発にあたり義詮の父・尊氏は、全国各地の寺院や神社に戦勝祈願の祈祷を命じました。

 

せ函足利将軍家下文4号 足利尊氏御判御教書  せ函足利将軍家下文5号 足利尊氏御判御教書

左:せ函足利将軍家下文4号「足利尊氏御判御教書」観応元(1350)年7月28日

右:せ函足利将軍家下文5号「足利尊氏御判御教書」観応元(1350)年7月28日

 

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百合百話51(その1)・52(その2)では、「山城国桂川用水差図案」(ツ函341号)から桂川用水をめぐる相論についてお話ししました。
このような絵図を作成するためには、どのように描くかを決め、紙を用意するなど色々な準備が必要です。
そのような準備の様子についても百合文書から知ることが出来ます。

 

・紙を準備

ヲ函119号-5 絵師礼物等入足注文

ヲ函119号-5「絵師礼物等入足注文」明応5(1496)年閏2月22日

 

明応5(1496)年閏2月19・20日の2日にわたり、東寺の供僧が河原を実地見聞し、「会師(絵師)」を同行させて、図を描かせたときの経費をまとめたものです。
料紙にした「引合(しわ模様のない和紙)」や「中紙」などが合わせて113文と書いてあります。
百合百話51で紹介した「山城国西岡下五ヵ郷用水差図案」(ヲ函121号)の下絵やそれにもとづく差図を作ったと考えられています。

 

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このたび京都府立総合資料館では、「藤原範親置文(ふじわらのりちかおきぶみ)」(1点1通)を購入しました。

もとは東寺百合文書「り函」に含まれていた文書で、播磨国矢野荘(現在の兵庫県相生市)のうち那波浦という土地の譲渡に関することが書かれています。


り函266号 藤原範親置文

り函266号「藤原範親置文」建長4(1252)年3月 日

 

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前回は、ツ函341号「山城国桂川用水差図案」がつくられた背景についてお話しました。
今回はその続きです。

 

明応5(1496)年に行われた裁判の結果、今後は用水を半分ずつに分けるようにと幕府から命じられましたが、この内容は西八条西荘側にとって、納得のいかない結果でした。(を函333号)

を函333号 室町幕府奉行人連署奉書

を函333号「室町幕府奉行人連署奉書」明応5(1496)年5月28日 

 

そのため、西八条西荘と西岡五ヶ郷との争いはなお続いてしまいました。

その後の両荘の動向を列挙してみると…

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