京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

ユネスコ世界記憶遺産登録認定書が届きました!

3月16日にユネスコから「東寺百合文書」世界記憶遺産登録認定書が届きました。


世界記憶遺産登録認定書と百合くん

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百合百話「46.東寺百合文書掲載利用数ランキング!」では、出版物への掲載などよく利用された文書をランキング形式で紹介しました。
利用数がもっとも多かったのは、ツ函341号「山城国桂川用水差図案」でした。
  ツ函341号

ツ函341号「山城国桂川用水差図案」

 

桂川の周辺にあった荘園と、その荘園の田を耕作するための水をひく水路が描かれた絵図で、明応5(1496)年に作成されたものと思われます。
図の真ん中に蛇行した太線が縦に描かれていますが、これが桂川です。
荘園に関する書籍などで多く利用されているので、この図を見たことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
この図は、いったい何のために描かれた図なのでしょうか?

 

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今回の百合百話では、「平成27年度東寺百合文書展ー今に伝わる2万5千通―」で展示した文書の31番から最後の47までをご紹介します。

 

31 ニ函141号「廿一口方永正元年同二年分文書包紙」永正2(1505)年

ニ函141号

廿一口方の永正元(1504)年・永正2(1505)年の文書で、「反古之内用捨分」つまり、いったんは棄てることにしたものの気が変わって、残しておくことにした文書を包んでいた紙です。これに包まれていた文書が何だったのかを知ることはできませんが、もしかするとこのときに生き残ることができた文書がいまも東寺百合文書の中にあるのかもしれません。

 

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今回の百合百話では、「平成27年度東寺百合文書展ー今に伝わる2万5千通―」で展示した文書の15番からご紹介します。

 

15 せ函武家御教書並達86号「織田信長禁制」永禄11(1568)年9月 日

せ函武家御教書並達86号

永禄11(1568)年9月、織田信長は足利義昭(この直後に将軍になります)を奉じて京都に入り、東寺に陣を構えます。その時に信長が自分の配下に向けて、東寺境内で濫妨狼籍や陣取、放火などをしてはならないと命じたのがこの文書です。東寺の側としては、大勢の軍隊が寺の中に駐留するわけですから、どんなトラブルがおこるか、当然心配になりました。そこで信長に頼んでこのような文書を出してもらっているのです。東寺百合文書のなかには他にも多くの禁制が残されています。平和ではない時代に寺の安全を保つのはなかなか大変だったようです。

 

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2015年10月1日から11月8日まで開催していた「平成27年度東寺百合文書展―今に伝わる2万5千通― 文書がなくなるこんなとき―」は無事終了することができました。ちょうど東寺百合文書がユネスコ世界記憶遺産に登録されたこともあって、例年よりも多くの方に足を運んでいただき、展示について様々なご感想をいただきました。

「資料館以外の場所(東京や大阪など)でも展示が見たい」、「遠方に住んでいるので、なかなか見に来られない」というご意見もありましたので、今回の百合百話では、ウェブ上で展示を再現したいと思います。

 

展示期間中に会場で配布していた解説はこちらからどうぞ。翻刻テキストやQRコードがついています。

 

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ある府県のある資料館にて......

弟:いろんなものがたくさんあるね。
兄:なんか古そうだな。こんなの見ても学校の勉強にならないよ。
父:そう言わずに。せっかく来たんだから。
弟:これって農家の人が使う道具だね。テレビで見たことあるよ。
兄:昔のものだよ。「鍬(くわ)」って説明書きがあるだろう。
父:鍬は弥生時代から使われている道具だよ。今でも形も変わらずに使われているんだ。すごいな。
弟:これはどう使うの。「鋤(すき)」って書いてあるけど。
兄:「くわ」も「すき」も一緒だよ。「耕す道具」って書いてあるじゃない。
父:おいおい、よく見ろよ。柄と刃との角度が違うだろう。ということは、使い方も違うってことだ。
隣りの客:鍬や鋤なんか置いておかないで、綺麗なものを並べればいいのに…。

 

田植えの写真を見ると......

黒川翠山撮影写真資料 田植え風景(下鴨あたり)

黒川翠山撮影写真資料 田植え風景(下鴨あたり)

 

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10月10日に東寺百合文書が世界記憶遺産に登録されました!

これをきっかけに、初めて東寺百合文書WEBをご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

東寺百合文書WEBで公開している画像は、申請など不要で利用していただけますが、WEBができる以前は、写真を出版物に載せるなど画像を使用する際は、資料特別撮影利用申請が必要でした。

東寺百合文書が国宝に指定された翌年の1998年度から2015年10月現在までの申請をまとめてみると、のべ19,264点の文書が利用されていることがわかりました。(WEBからの利用を除く)

 

そこで、今回の百合百話では、1998年度から2015年10月現在までの「東寺百合文書掲載利用数ランキング」をご紹介したいと思います!

 

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中世文書には、さまざまな地名が出てきます。

それが今日まで続く地名であれば、古文書に書かれた土地が具体的に分かり、古文書を読む楽しみもいっそう深まるでしょう。

 

そもそも地名は、どのように生まれるものでしょうか。その土地の自然環境や歴史的背景から名付けられることが多いと考えられますが、その経緯まで分かる事例はあまりありません。

普段何気なく使われている地名も、生成の時期や事情はさまざまであり、それぞれに歴史があります。

歴史史料を読み解く上でも、地名などの地理情報が手がかりになるケースが少なくありません。地名は決して一定不変のものではなく、何らかの事情によって変更されることもあれば、時間の経過とともに使われなくなることもあります。またそれゆえに、歴史情報としても貴重なものなのです。

 

今回は、ちょっと変わった地名と、その地名が生まれた経緯を紹介しましょう。

 

メ函340号 大袋田文書目録

メ函340号「大袋田文書目録」

 

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「東寺百合文書についての最新情報が知りたいのに、なにを見たらいいのか分からない…」

そんなお困りの方にオススメなのが「百合通信」です!

 

 

百合通信

                             

 

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東寺百合文書には歴代足利将軍の文書が数多く残っています。本来文書を書くのは右筆(ゆうひつ)の仕事で、将軍自ら筆をとることはまれでした。今回はその将軍自筆の文書についてお話しましょう。

 

歴代足利将軍が出した文書のひとつに「御内書(ごないしょ)」というものがあります。御内書とは私信のために用いる書状に近い形式の文書です。差出人が将軍ということもあり、公の文書として扱われるようになりました。東寺百合文書(※観智院含む)には以下の3通の足利将軍の御内書が残っています。

 

せ函足利将軍家下文1号 足利尊氏御内書

せ函足利将軍家下文1号「足利尊氏御内書」暦応2(1339)年10月27日

 

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お問い合わせ先
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電話番号:075-723-4831

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