京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

10月10日に東寺百合文書が世界記憶遺産に登録されました!

これをきっかけに、初めて東寺百合文書WEBをご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

東寺百合文書WEBで公開している画像は、申請など不要で利用していただけますが、WEBができる以前は、写真を出版物に載せるなど画像を使用する際は、資料特別撮影利用申請が必要でした。

東寺百合文書が国宝に指定された翌年の1998年度から2015年10月現在までの申請をまとめてみると、のべ19,264点の文書が利用されていることがわかりました。(WEBからの利用を除く)

 

そこで、今回の百合百話では、1998年度から2015年10月現在までの「東寺百合文書掲載利用数ランキング」をご紹介したいと思います!

 

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中世文書には、さまざまな地名が出てきます。

それが今日まで続く地名であれば、古文書に書かれた土地が具体的に分かり、古文書を読む楽しみもいっそう深まるでしょう。

 

そもそも地名は、どのように生まれるものでしょうか。その土地の自然環境や歴史的背景から名付けられることが多いと考えられますが、その経緯まで分かる事例はあまりありません。

普段何気なく使われている地名も、生成の時期や事情はさまざまであり、それぞれに歴史があります。

歴史史料を読み解く上でも、地名などの地理情報が手がかりになるケースが少なくありません。地名は決して一定不変のものではなく、何らかの事情によって変更されることもあれば、時間の経過とともに使われなくなることもあります。またそれゆえに、歴史情報としても貴重なものなのです。

 

今回は、ちょっと変わった地名と、その地名が生まれた経緯を紹介しましょう。

 

メ函340号 大袋田文書目録

メ函340号「大袋田文書目録」

 

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「東寺百合文書についての最新情報が知りたいのに、なにを見たらいいのか分からない…」

そんなお困りの方にオススメなのが「百合通信」です!

 

 

百合通信

                             

 

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東寺百合文書には歴代足利将軍の文書が数多く残っています。本来文書を書くのは右筆(ゆうひつ)の仕事で、将軍自ら筆をとることはまれでした。今回はその将軍自筆の文書についてお話しましょう。

 

歴代足利将軍が出した文書のひとつに「御内書(ごないしょ)」というものがあります。御内書とは私信のために用いる書状に近い形式の文書です。差出人が将軍ということもあり、公の文書として扱われるようになりました。東寺百合文書(※観智院含む)には以下の3通の足利将軍の御内書が残っています。

 

せ函足利将軍家下文1号 足利尊氏御内書

せ函足利将軍家下文1号「足利尊氏御内書」暦応2(1339)年10月27日

 

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ウェブサイトに桐箱の写真はないのですか?など、画像についてよくお問合せをいただくようになりました。ご要望の多い画像で公開できるものを随時掲載していきます。

 

第1弾は当ウェブサイトの背景にもなっている収蔵庫の桐箱画像です。

 

収蔵庫桐箱(4.07MB)

収蔵庫桐箱(3744 × 5616, 4.07MB)

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「代銭納」という言葉をみなさんはご存じでしょうか。年貢を米で納めるかわりに、銭で納める納税スタイルです。

 

年貢といえば、領主や代官所の蔵に重たい米俵をかついで入れるお百姓さんの姿をイメージする人が多いのではないでしょうか。そんな光景もあったのでしょうが、ちょっと日本史のおさらいをしておくと、中世には米のかわりに銭で納税するスタイルが確立されていたことがわかっています。日本史にもっと詳しい人は、「為替」という仕組み、つまりお百姓が地元の市場で年貢として納める分の米を商人に売り、換金した額が書かれた手形を発行してもらい、その手形を京都に持って行きそれを領主に渡して年貢を納入していたことをご存知かもしれませんね。

 

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勤務先まで電車で通えば15分。てっきりそれで交通費が支給されると思っていたら、40分かかるがバスの方が安かったため、バス代が交通費として支給されることになったとしたらどう思うでしょうか。

 

経費削減という観点からみれば「当然だ」と思うかもしれませんが、一方で、電車であれば「もう少し寝られるのに…」と思う人は少なくないでしょう。経費削減がかまびすしく言われる昨今、よくある話です。

 

ところが、交通費の支給を安くすませようとする話は何も現代だけに限ったことではありません。東寺百合文書をみてみると、南北朝時代に、年貢の輸送に要した交通費の支給額をめぐって、支給する側の領主と支給される側の荘民との間で攻防が繰り広げられています。今回は交通費をめぐる論戦を紹介することにしましょう。

 

ラ函9号 学衆評定引付

ラ函9号「学衆評定引付」永和2(1376)年11月3日条

 

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ひとが生きていくために欠かせないもの、と言えばなんでしょう?

水、空気、自然、愛…?

いろいろありますが、そのひとつが「塩」。

塩は、生きていくために必要なものであると同時に、けがれを浄める力を持つ神聖なものとして、古代より祭祀などにも多く用いられてきました。

今では簡単に手に入る塩ですが、昔は決して、いつでもどこでも手に入るものではありませんでした。とくに海から離れた都、京都では、とても貴重なものだったのです。

 

前回の百合百話「おいしい海の幸を送ります」では、弓削島という瀬戸内海の小さな島からの年貢について、お話ししました。

「塩の荘園」として知られる弓削島荘(ゆげしまのしょう)は、東寺に多くの塩を年貢として納めており、東寺にとって、とても重要な荘園のひとつでした。塩は、お米と同じように「俵」で数えられ、お米に代わる年貢として納められていたようです。

 

次の文書は、弓削島荘から東寺へ年貢の塩が送られた際、添えられた送り状です。

 

と函19号-2 伊予国弓削島荘年貢塩送進状

と函19号-2 「伊予国弓削島荘年貢塩送進状」文永11(1274)年7月24日

 

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日本人の主食であるお米。なにはなくとも、白いご飯さえあれば…というかたも多いでしょう。

今のように、誰もが気軽に口にできたわけではありませんが、昔からお米は日本の食卓に欠かせないものでした。

「年貢」として納められたのも、多くはやはりお米です。たくさんの米俵が運ばれる絵、歴史の教科書などで目にしたこともおありではないでしょうか。

 

でも今回の話、実はお米の話ではありません。

全国各地それぞれの場所にさまざまな特産物があるように、その荘園がどんな場所にあるかによって、納められる年貢もやはりさまざまでした。

全国各地、80にも及ぶ東寺の荘園。

今回は、なかでもちょっとユニークな年貢を納めていた荘園について、お話しします。

 

と函3号 伊予国弓削島荘所当等注文(案)

と函3号「伊予国弓削島荘所当等注文(案)」延応元(1239)年12月日

 

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整備された「碁盤の目」の都として有名な平安京。

しかし、実はそのあちこちで、道路がいつのまにか田や畑にされる、なんてことがしばしば起こっていました。

前回の「道路が畑に…!? その1」では、東寺の少し北、東西にのびる八条通と大宮通が交わるあたりでも、道路が耕され、どんどん巷所が広がってきた様子をご紹介しました。

 

しかし、近くのお寺、遍照心院が、広がりつつある巷所を見かね、とうとう東寺へ訴え始めます。 

東寺はそれにどう対応したのでしょうか…?

次の文書は、東寺のなかでおこなわれた会議の議事録「評定引付」です。

 

天地之部18号 廿一口方評定引付

天地之部18号「廿一口方評定引付」応永13(1406)年2月28日条

 

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