京都府立京都学・歴彩館
東寺百合文書WEB

百合百話 (ひゃくごうひゃくわ)

※本文の一部を訂正しました(2019年4月22日)。 

 

参詣人でにぎわう東寺南大門前で営業を始めた茶売り人たち。

しかし、ときどき思いがけないトラブルが…。

茶売り人の火鉢が原因で火災が発生し、彼らは東寺周辺から追い払われることになってしまいました。

はたして、どうなってしまうのでしょうか…?

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大きなお寺や神社の参道には、今も多くの茶店やお土産店が軒を連ねています。

こういったお店で門前がにぎわい始めたのは、室町時代のことでした。と言っても、この頃にはまだ店舗を構えたお店はあまりありません。

ではいったい、当時の茶店はどんなふうなものだったのでしょうか?

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今回の百合百話は文書に書かれている内容からは離れて、文書を納めている桐箱についてのお話です。

 

百合桐函のシ函
シ函
百合桐函のニ函(1)
ニ函(1)
百合桐函のニ函(2)
ニ函(2)
百合桐函のニ函(3)
ニ函(3)
百合桐函のニ函(4)
ニ函(4)

 

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※2015年9月追加分は現在リストを作成中です。(2015年9月15日)

 

現在、テキストをご覧いただける文書のリストです。

New! とあるものは2014年7月9日に追加したものです。ぜひご覧ください!

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東寺鎮守八幡宮の加護により辛くも勝利を収めた足利尊氏。とはいえ、洛中および比叡山ではなおも戦闘が続いており、予断を許さない状況にありました。悲願の成就を望む尊氏は、“矢”が放たれた翌日に東寺鎮守八幡宮に所領を寄進し、更なる加護を武神に求めます。

 

コ函4号 足利尊氏山城国久世上下荘地頭職寄進状案

コ函4号「足利尊氏山城国久世上下荘地頭職寄進状案」建武3(1336)年7月1日

 

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東寺境内図

東寺五重塔の北東にひっそり佇む東大門。「不開門」とも呼ばれますが、その名が示すように、特別な場合を除き、その門の扉が開かれることはありません。その由来をご存知ですか?

 

建武3(1336)年6月、一度は後醍醐天皇に敗れるも再度上洛を果たした足利尊氏は、本陣を東寺に据えました。新田義貞らとの洛中合戦において窮地に陥った尊氏は、東大門の扉を固く閉ざすことでその難を逃れたといわれています。現在もその矢傷の跡と思われる小穴が残っています。

 

それからというもの、この門は「不開門」と呼ばれるようになりました。今でも災害や修理を除き、その扉は固く閉ざされたままとなっています。

 

この合戦にまつわるもうひとつの逸話が東寺に残っています。

 

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真言宗の開祖である弘法大師空海(774-835)は、亡くなった後も多くの人々の信仰を集めてきました。その肖像や生涯を描いた絵巻なども、数多く制作されています。

なかでも、現在も東寺に所蔵されている「弘法大師行状絵詞(こうぼうだいしぎょうじょうえことば)」(重要文化財)は、全12巻に及ぶとても立派なものです。この絵巻の制作が計画された応安7(1374)年は、大師の生誕600年にあたる年でした。東寺にとっても、その記念となる一大事業だったのでしょうか。東寺百合文書の中には、この絵巻の制作にかかわる「大師御絵用途注文」という文書があります。

 

モ函30号「大師御絵用途注文」康応元年(1389)

 

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羅城門跡地付近出土石塔(京都府京都文化博物館所蔵)
※この画像はCC BYでの提供ではありません)

昭和36年(1961)、東寺近くの、かつて羅城門が建っていたと考えられる地の付近から、発掘調査によって石塔が出土しました。その石塔には、次のような文字が記されていました。

 

天正八年
(梵字:アー)権僧正亮祐大和尚位
壬三月十八日

 

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東寺百合文書が利用されている論文や、文書を読むときに参考となる論文・書籍などのご紹介です。今後、随時追加していきますので、ご参照ください。

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応仁元年(1467)からおよそ十年余りにわたり、守護大名たちが東西両陣営に分かれて京都を戦場とした争いが応仁の乱です。東寺では、開戦後間もない応仁元年(1467)9月に、戦火に備えて寺内の宝物や文書を醍醐寺に疎開させたことが、「廿一口方評定引付(にじゅういっくかたひょうじょうひきつけ)」(ち函19号)に記載されています。中世の東寺には「廿一口方」という定数21人の僧侶で構成された寺内組織がありました。「引付」とはこういった組織の会議議事録のことです。

 

ち函19号「廿一口方評定引付」文明2(1470)年8月10日条

去る7月20日に醍醐寺が焼き討ちされて、預けていた寺宝の一部が焼失したことが書かれています。これらの寺宝は、応仁元年(1467)9月21日に、東寺から醍醐寺に疎開させたものでした。

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京都市左京区下鴨半木町1番地29

電話番号:075-723-4831

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